激動の2018年。
今年は激動の年であった☆
その片鱗は、去年くらいからあったけれど、去年を大幅に超えたなにかが、そこにはあった。
多分私が、本気で変わろうとしたのだろう。
必要のなくなったものを、片っ端から手放す年だったのだろう。
残念ながら、小崎正巳先生が亡くなられたのもこの年で、
今年の手帳を読み返していたら、2月20日の外来が、私がお会いした最期でした。
あの日、献腎移植の書類をお願いしていたのにもかかわらず、
「今日急ぐ?」と言われて「このあと学校なので・・・」と、慌てて帰ってしまったことを
未だに悔やんでいる。
最期かもしれない、って、どこかでぼんやりと考えていたのかもしれない。
もちろん、そうではない!小崎先生は絶対お元気になって、また外来に戻ってこられる!って思っていたけれど。
手放したくなかった小崎正巳先生との外来の時間も、手放さざるを得ない状況に陥ってしまった。
非常に無念であった。
人の命は永遠ではないことを、思い知った年でもあった。
他には、シナリーのアドバイザーをやめたこと。
トンデモにはまってしまった所長さんと、考え方の相違で、サロンにいけなくなってしまったのだ。
あと、バンドをやめたこと。
友達付き合いを断った人もいた。
お互い、無理をすることなんかないので。
9月末からどんどんと体調が悪くなり、
10月頭に入院。
11月頭にも入院。
マジで死ぬって思った。
死はいつでも、すぐそばにいるんだ。
私のために、私を使えばいいのに、無理することなんてなかったのに、
私が我慢していたら、と思っていた。
なんて馬鹿だったんだろう。
死んでしまったら、そこでおしまいじゃないか。
使命に生きなくて、どうするんだ?また来世、やり直すんか?
そんな時にいっちゃんのセッションに行って、今までの出来事が符合した。
さとう式と出会ってからの数年で、様々な人との出会いがあり、色々なカードセッションやらに行ったけど、
すべてが「そういうことだったんだ」とわかりましたよ。
移植に対する意識も、180度変わりました☆(今のままじゃ、来ないということもわかったので!)
もう49歳。まだ49歳。
今気づけてよかった!
私は私が、思った通りの人生を、これからも生きていきます。
昨日、ふと思い立って、ハローワークのデータを調べてみたけれど、
資格は取ったものの、仕事をするには至らなかった医療事務のお仕事を探したけど、
あるにはあるけど、条件に合致するものはなかなかなかった。
昨日まーくんを連れて行った小児科で、夕方から夜の医療事務の募集があったけど、
ヘルパーさんとお留守番して、週2くらいで働けるかな?ちょっと考えてみた。
夜はなかなか、働き手がいないらしく、いつも出ている募集だ。
勝手知ったる先生と、いつもよくしてくださるスタッフの皆さんがいる職場だったら、って
お互いの顔や状況が知れているのは、メリットかもなぁと思った。
もうちょっと考えて、可能性が高そうなら、応募してみようかな。
そんなこんなで、激動の今年、
そして更に激動であろう来年に向けて、
「元気で生きる」を継続しつつ、「楽しいこといっぱいやる」「やりたいことを仕事にする」も、欲張って行こうと思います。
- - -
そして、
美樹さんのFacebookを拝見して、真似して作ってみた☆ライブに行った、ライブを演った、一覧。
9月後半から11月までは、4つくらい、行くライブと出るライブを、飛ばしてしまいましたが、
それでも今年の目標の、「セッション参加4つ」をクリアして、6つのライブに出演することができた☆
来年は、すでに1月、2月、3月、5月、7月と、決まっているセッションがいくつかありますが(参加したいと思うもの含め)
8つくらい、出られるように頑張ろうと思います(*^^*)