今日は心理だったけど、お休みになったので、まーくんは一日ごんべで過ごします。
ふと振り返った時、「ごんべだけで過ごす」という選択をした子がいた、と聞いたことを思い出しました。
その子はまーくんと同じ肢体不自由の子で、おしゃべりも最後まで出来なかったけど、ごんべでみんなが彼女の周りにいつも集まっていて、小学校に上がっても、いつもいつもお友達に囲まれていて、送り迎えもいつも車いすを押してくれる男の子達がいて、中学生まで頑張って通ったそうです。
確か、中学二年で亡くなられた、ということでした。
今日行った小学校は、彼女も通っていたというところだったので、同行してくれた園長先生曰く「彼女のお母さんにも話しを聞くといいよ!」といろいろなアドバイスをくださいました。
今日の学校公開は3学期に入ってからで、小学校生活を約1年過ごしてきた一年生達は、ちゃんと大人しく(笑)給食を食べていました。
「これが一学期の学校公開だと、1年生は給食の給仕が出来ないし、掃除も6年にやってもらっているんだよ」ということでした。
なので、「見るなら1学期がイメージしやすい」と。
なるほどー。
4月以降にもあるそうなので、そこはそこでまた行こうと思いました。
後はやっぱり見て、聞いて、親の判断で「ここ」って決めたら、向こうは何とも言えないらしく、その学校に入れるらしい。
3年生に車いすで普通級にいる子に遭遇。
トイレがなんと!!!階段の踊り場の中途半端なところにあった!!
(車いすでも入れる感じではあるが)
さすがに100年以上経っている小学校だな、と、
バリアフリーってなに??なんて思いつつ、この「段差」はきついなぁ、と。
でも、先生がひとり、ついていてくれているようだ。
「まーくんだって、この2年はどう変わっていくかわかんないよ!!」って言われて、
「そうだよねぇ」なんて思う。
「だって、この1年だって、ぜんぜん違うじゃん!?」と園長先生。
「そうだよねぇ」(^^;;;
今のまーくんの様子を見ていると、少人数で手厚くしてもらえるのもいいのだが、たくさんの生徒の中の一人としても、2年後、十分やっていけるんじゃないか??
と思う。(おしゃべりというコミュニケーションツールが使えると仮定して)
△小学校のなかよし学級(障害児クラス)は、肢体不自由の子は今回はいなかったようだ。
現段階で知的に問題がなければ、発語があれば、わたしは普通級に通うことに挑戦するだろう。
本当に先が読めない、そんな現状に悶々としつつも、4時間目と給食の時間をかいま見て、△小学校を後にした。
園長先生は「せめて同じ学年の子が同じマンションとか近所にいるといいのにね」と。
下の子なら何人もいるんですけど、だめ??(^^;;;
なかなかその点は難しいなぁと思いつつ、現実的にヘルパーを使って送迎をしてもらうことを考えると、ここか養護しかないんだけどね。
私自身がまだ透析に入っていなかったら、ちょっと考え方がかわるんだけど、2年後はどーかなぁ(T。T)
そうそう、冒頭の「ごんべで過ごすという選択」について。
我が家はどうしてここに引っ越ししたか?
まず第一に「ごんべに通い続けられること!」これだ。
1才ちょい前からごんべに通っているまーくんですが、リハビリと心理とごんべ、この3つの柱でこのまま頑張ります。
本当は小学校にいっても放課後はごんべに帰りたいくらいだよ。
我が家は我が家のペースでがんばります。