「コウノドリ」を観ながらまーくんの16年間を振り返る。
生まれてすぐのまーくん。2000年12月。指先に手のひらが乗るサイズ。
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今日は朝まーくんを送り、軽く買い物をして帰宅。
その後は、2時過ぎまで家で掃除洗濯やらやらの家事をこなしつつ、
ランチを食べながら「コウノドリ」を観ていました。
録画しておいて、なぜか続きを見るのが怖かった。
今日は子宮頸がんだったかな。28週で帝王切開して、直後に子宮全摘で、がんを取りきった!という話しでした。
実はまーくんも28週と2日で生まれちゃったのだ。
私は当時移植者で、クレアチニンが2を超えていた時だったので、妊娠がわかった時に「産むとこういうリスクがあって、産まなければ今の腎機能を維持できる、かも?」というお話が当時の主治医からあって、私(我が家)は産むという選択をしたのでした。
結果的に27週で破水して、1週間ちょっとお腹にはいてくれたけど、
八王子医療センターから東京女子医大病院に搬送するぞ!と決まって、女子医に搬送されたその晩に、陣痛始まって、一晩うんうんうなってから翌朝8時半頃生まれてしまったのだった☆NICUがすぐとなりにあってよかった!!と思った瞬間でした☆
救急車って、結構揺れるんだよね。今思えばあの刺激がよくなかったのでは??とかね。
破水する前までは、ドラマの妊婦さんと同様に、なるべくお腹の中で育てて、31〜32週あたりで帝王切開という案があったのですが。
シナリオはそうはいかず、まーくんは自らの意志?!で生まれてきてしまったのでした(((^^;
そんなこんなが走馬灯のようにかけめぐりつつの「コウノドリ」。
結果的に妊婦さんは助かって、小さく生まれた赤ちゃんと家族でがんばっていきていきます!みたいなノリで終了となったのですが。
途中で妊婦さんが「この子にもしものことがあったら!!」って28週で出産することに躊躇する場面があるんだけど、
実際は生まれてしまったまーくんに対して、目の前に出てきた課題を次々クリアしていく!!という、
RPGさながらの、今日までを16年間過ごしてきたのであります。
なんかさぁ、小崎先生からはさぁ、「移植腎を守るためには、出産には同意できない」といわれたことがあって。でも私は生みたかったから今があるんだけど。(移植医だから当然といえば当然なんだけど)
そういう話をしたことも、いろいろと頭に浮かんできては消え、浮かんできては消え、しつつのドラマ視聴、気づいたら号泣でした(ToT)
なんでなのか、自分でもよくわかりませんでしたが、
泣くだけ泣いて、夕方からのリハビリに行くべく、まーくんのお迎えにでかけたのでした☆
健常児しか育てたことがない方からすれば、それはそれは「大変!」なことなのだろうと思う。
多くのお友達が健常児しか育てたことがない方がいらっしゃいますが、どっちがどうこういう話しではなく、
単純に「障害がある子」が生まれたところで、私(たち)は育児をするのみ、なのだということ。
それが重度重複だったり、医療ケアがあるお子さんだったり、まーくんのように麻痺があったり、自閉症であったりしたら、それに対するケアをしていくだけ。
ドラマの中の妊婦さんは、「人生がかわっちゃうんだよ!生活だって、」って言ってたけど、
私はそうは思わなかったなぁー。
だって今まーくんがいて当たり前の生活が、リアルな今の生活で、
これ以外の選択肢は私の中にはなかったんだもの。
だからドラマの中の妊婦さんが、お腹の大きい妊婦さんをみて「お腹で十分に育てられなくてごめんね」と、自責の念にかられているシーンがあったけど、そんなの感じたことなんか一切なかったりする。(あくまで私は、だけど)
だってまーくん、生まれたかったんだもんね。
破水したあとで、羊水が少なくなって、呼吸が苦しかっただろうけど、
それでもバタバタ、手足動かしていたもんね!(そのおかげで呼吸器強いと言われたりした)
いまのまーくん、そのまんまだったなぁーって、思うんだよね。
まーくんが健常児だったら、ってことは、思わなかったことはないけど、
ハイハイでだって部屋から脱走する男だったまーくんが、多動じゃない訳がないから、
それを追いかける体力は、透析目前の貧血すすみまくりでしんどい私には、無理だったなぁーって思う。
私は私でいろいろあって、それは大変ではあるけれど、
まーくんがいておとさんがいて、支援学校に送迎をしたり、リハビリに通ったり、
発達外来に通ったり、健常児が通らない道を通っているけれど、
いつだって幸せだ、ってことは、はっきりと言えるよ。
気がついたら16歳。高校一年生になり、
すっかり身長も私と変わらなくなって、
こんなんなりましたー!!!
(今日のリハビリにて)